2021/6/5 大芦高原キャンプ場出店

毎週土曜日は大芦高原キャンプ場に出店している。

吉備中央町で店を始める前から管理人のこうたくんとななほりーの好意で毎週出させてもらっている。もう半年以上前になる。

 

 

吉備中央町で店をオープンしてから1度だけ修と出店をやめようかという話になったことがある。毎週の出店は意外と体力的にきつい部分もあるし、なによりガソリン代すら稼げないことが続いていたからだ。土曜日は稼ぎ時だし、吉備中央町で店を開けるメリットの方がでかい。

 

 

でも、そもそもなんで始めたんだろうってところに戻ると結論は案外早く出た。そもそも修とこうたくんがKAMPの飲みの席で意気投合したところから始まり、こうたくんの並々ならない積み重ねの産物(DIYの家やキャンプ場など)に何度も食らわされ、なにか一緒にできないかということで出店することが決まった。私たちはどこかではやくおみせをやりたい。こうたくんはキャンプ場がいろんな人の集まる場になってほしい。ウィンウィンの関係だった。でも、ふたを開けてみると、毎週毎週出店ブースがこうたくんのDIYによってパワーアップしていたり、ななほりーにお昼をごちそうになったり、頻繁に家に泊まらせてもらったりと本当にウィンウィンなのか?私たちが受ける恩恵の方が大きいんじゃないかといつも思っていた。

 

 

それなのに、このまま出店をやめるのか?感謝もなにも形にできていないのに目先の利益にとびついていいのだろうか?絶対にだめだ!!ということで二人ともがこのまま出店を続けることを選んだ。

 

 

 

でもその後も状況はあんまり変わらなくて、頭を抱えていた半年間。この緊急事態宣言をきっかけに少しずつ変化が表れてきた。

 

 

外で出店するようになって、寄りやすくなったのか客足が少しずつ伸びてきた。しかも外出先が減っている友だち達もキャンプ場に遊びに来るようになって管理棟がいろんな人が集まれる場所になってきた。今日も地元の人やキャンプ場の利用者、友だちたちがたくさん集まって、手応え的にはここ最近で一番の売上だ。みんなで帰りに地元の焼き肉屋さんに行った。大好きな人たちと同じ時間を過ごすことができて、本当に幸せだ~と思った。

 

どんどんアナログなつながりが減っている世の中だけど、結局助けてくれるのはそういう地のつながりだな~と改めて。いろんな考え方があるけど、やっぱり私はそんな根本的なつながりを大事にしたい。家にこもっているうちに、気付かないうちに、大事な物を失ってしまう可能性がある。そんなのは嫌だ!

 

 

 

なにが言いたいのかまとまらなくなってきたけど(笑)このキャンプ場出店はいろんなことを教えてくれる。本当にありがたい。これからもっともっと素敵なキャンプ場にするために我らは毎週出店するのだ!!!!終わり!!!!

2021/6/4 染織修行はじめました

激動の4月が終わり、のんびり5月を過ごしていたら、あっというまに6月になった。

6月1日からアーツアンドクラフツビレッジというところで2泊3日の染織修行をはじめた。

アーツはすごくおもしろいところで、師匠の豊美さんや木工職人のやっさん、やっさんの弟子のかほちゃんや「あなぐま舎」のみんな(今度説明することにする)など個性豊かな人たちと廃校になった校舎で過ごす。この三日間はめちゃくちゃ濃くて、きちんと吐き出さないとたぶんパンクしてしまう予感がしまくっている。

ということで、ここに思いっきり吐き出そうと思うのである。

 

 

一日1投稿。

 

 

 

やるのである!!!!

ハンバーガーと岡本太郎から学んだこと

最近自分のつくるお菓子がめちゃくちゃ美味しい気がする。もちろん今までもお金をもらって出してたんだからめちゃくちゃ美味しくなくちゃいけないんだけど…。

お店をはじめてから、これまで以上にいろんな人に出会えるようになった。絵を描く人とか服を作ってる人とか歌を歌ってる人とか食べ物をつくってる人とか…。本当に感動させられるものは、その人のパワーが入っている。パワーというか、いのちというか。でも、いろんなことを中途半端にやっちゃう私はなかなか1つのものに全部を出しきることができなくて、モヤモヤしてた。私は何にいのちをかけられるのか。。。今までパワーをこめられたと思えるのは、たかゆが直したカブのサドル、友達にあげたキーケースと定期入れ、手紙、マスク。。。と思い返してたら、それらは全部相手が決まってて、自分は誰かになんかしたい!って気持ちがパワーになってものに宿るんだなあ~と発見。



だからパワーをこめたいときは、その先にいるだれかを思い浮かべることにした。まずはお店でだすキューバサンドとかタルトとか。そしたら、キャンプ場で美味しいっていって4つも買ってくれる人とか、なにが入ってるんですか?って聞いてくれる人がいて、もしかしたらパワーを感じてくれてるのかな~と思うことが増えた。めちゃくちゃうれしい。はじめての感覚。


でもこの前、太陽の塔を見に行ったとき、もうどうしようもないくらいのエネルギーを感じた。岡本太郎はなにを込めてたんだろう。私ももっと自分を燃やしたいという欲がでてきて、まだまだ布とかかごとか文章とかいろんなところでいのちをかけたいなあ~ファイヤーー!!!

ハッケヨーイ ノコッタ!

毎年毎年いろんなイベントがある。全部一年に一回だから特別なはずなんだけど、やっぱり年末年始は特に特別な感じ。高校生までは家族と過ごすのが普通で、大学生になってからはいろんな過ごし方をしてきた。全部言える気がする。すごい。

でも、去年ほど大きく変わった一年はなくて、今回は想像もしてなかった年越しになった。去年はたかゆの家でぎゅーぎゅーになりながらのタコスナイト。今年は修のホーム素盞嗚神社で近所のおっちゃんたちに炊き出しをしながらの年越しになった。おまけに朝から寝違えて、少し曲がった首を添えて。

せっかくだから、自己満ブログに一年を振り返る。来年のお正月に見たら、また面白いと思うけど、恥ずかしくて過去の自分は振り返れないからたぶん見ないと思う。。。


2020年は本当に全部が変わった一年だった。世の中もそうだけど、世の中に負けないくらい自分が変化したから、あんまりコロナの影響はなかったかもしれない。

3月で教員をやめ、吉備中央町で新しい生活を始めた。のんびり自然と戯れながら、田舎生活を楽しむ予定だった。。。が、結局にたもん同士が集まるわけで、気付いたら10月頃から田舎は大好きだけど遊ぶのも大好き軍団と、週2くらいでどんちゃん騒ぎしているような状態になっていた。新しく始めた店と遊びで忙しすぎて、のんびりもしてられない。でも、そのスピード感も大事だったりして、その中でいろんなものが生まれていった。


周りの状況はそんな調子で、私はというと、とにかくすごいスピードで進む電車にしがみついている感覚。完全に揺られふられ前もうしろもない感じ。


これでいいのかー!とちょっとだけブレーキをかけかけて2020年が過ぎていった。



改めて思うと、今までは誰か前に走っている人がいて、その人を追ってきた。でも、はじめて違う道を走り始めると、だれも前にいない。自分なりに走るしかないから、困ったコマッタ。自分の進みたい方向や走り方をもう一回考えなくちゃいけなくなって、困ったけど、でももうその土俵にたったからにはやるしかない!土俵にたたせてくれた全ての人に感謝と尊敬をこめて。ハッケヨーイコマッタからのハッケヨーイノコッタよ!


相撲の話なのかなんなのかわからんくなったから終わりにしよう。。2021年はしがみつくだけじゃなくて、自分の足で走るゾ!

狐は狐のままに

100kmを走りきってからというもの(9月21日)、もぬけの殻状態だった私。あっという間に秋が終わり、気付けば冬がやってきました。店のオープンもあり、早すぎる時の流れにようやく気持ちが追い付いて来たような来てないような…。

先日、兵庫県の明石で開かれた早川ユミさんの展覧会をのぞいて、運命的な出会いを果たした本たちや、絵を描いたり、人を繋いだり、理想を叶えるために四苦八苦したりしている友人たちからビシバシ刺激をもらって、私もやっと布団から頭を出した感じです。

まだ、頭しかだしてないんかーい!という突っ込みを自分にして。。。店をオープンしたり、いろんなところで出店させてもらったりしていて、なんかやってるつもりになっていたけど、結局自分から自分の理想に向かってなにかをしていた訳ではないと気がついてしまった。まさに虎の威を借る狐?虎の理想を語る狐?状態。また、自分のやりたいことはなんなんだ~と、頭を悩ませる日々へ逆戻り。結局はやっぱりそれが一番大事なんだな~…


でも、周りを見ていて気づいたことがまだあって、想像したことは叶うということ。私の場合、想像が広がる前に思い付いたことをすぐ行動に移してしまう。いいことな感じもするけど、今までその行動に満足してその先に行けないことが多かった気がする。行動のその先に広がる暮らしや自分や周りの人を想像さえすればいいだけなのに。行動することより想像することのほうが私にとってはめちゃくちゃむずかしい。

だから、今は布団からとりあえず頭を出して、ノートとペンをもって、自分の理想を思う存分想像してみようと思う。

100km走るということ

「生きる」 谷川俊太郎



生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ


わたしにとっての生きるということ
いま生きているということ
100㎞走るということ




今回はこの「100㎞走るということ」について。



気付けば1度もブログを更新しないまま過ぎていった8月。人生ではじめて自分の店として出店したり、いろんな人と出会っていろんな輪の中に招き入れてもらえている喜びを感じたり、けっこう濃い1ヶ月だったんだけど。

それは、言葉にはなってなくても自分の中に確実にいて、気持ちのよい変化を与えてくれているので、それはそれでとてもいい。



ことの始まりは8月22日。
2つ年下の女の子があわいに遊びに来た。去年同じ小学校に勤めていて同じ学年を担任していたのでいわゆる後輩みたいな感じ。私を成長させてくれた人だと勝手に思っている。前に手紙をくれた以来、なかなか返事ができていなかったけど久しぶりに連絡をしてみると遊びにきたいと言ってくれて、二日後に本当に来た。(本当に来てくれる人はなかなかいないからうれしいことだ~) お互い近況報告をしているとふいに、「最近3㎞を14分で走ることに挑戦しているんですよ~」といい始めた。先生をしながら、しかも1ヶ月かけて徐々に自分を越えている。うお~すごい~!と彼女からパワーをもらって私も走ることに決めた。目標は1ヶ月で100㎞。もう、やるしかない。



その日からほとんど毎日4㎞走っている(実は歩いていることもしばしばだけど)。今日で23日72㎞。毎日走っているといろんな発見がある。自分自身と対話して、自然と対話して、一体になっている感じ。朝の空気が少しずつ秋の空気に変わっていっていることに気付いたり、自分の体が重いときもあればすごく軽いときがあったり、へびや鳥が死んでいたり、風に包まれている感触や音がしたり、自分の中の自分と話して弱さに気付いたり言い聞かせたりする。あ~これって生きているということだな~。私って生きているんだな。


いろいろ思うところはある。やりたくないことをやってしんどくなることもあるし、人に優しくできなくて自分をせめることもあるし、飲み過ぎて記憶をなくすこともあるし、肌はあれるし、これだと思うことは見つからないし、思い通りにいかないことはたくさんあるけど、でも生きている。たしか人の細胞は1ヶ月で全部入れ替わるらしい。明日の自分は今日の自分じゃない。だから絶対大丈夫。

残り28㎞。走りきった自分に出会うのが楽しみだ~

ひどーに生きる

昨日はおーひらさんという本好きの先輩がたくさん本を送ってきてくれた。一番上にあったのが『非道に生きる園子温 だった。


園さんの映画は『愛のむきだし』しか見たことがない。正直見たのは4年前くらいで、内容もほとんど覚えてないけど、たしか4時間という超長編ぶりにおそるおそる見はじめた。修は当時この世界観にどっぷりはまってて、私もたっぷりと影響を受けていたから、すごくエネルギーをもらったことは覚えてる。でも、本当によかったのかな。この本を読んでからもう一回観たくてたまらなくなっている。


この本の中で園さんは「自分が面白いと思うものだけを追求すること。それが非道の生き方です。」といっている。人はそもそも全員道なき道を行く宿命なんだそうだ。たしかに、一人一人道が決まっててそこしかいけないなら人生きっとつまらなすぎていやになるだろうな~。


でも面白いってなんだ。面白い=好きなことかな。そもそも自分が本当に好きかどうかの判断が、私はかなりあやしい。まず人を好きになって、その人がいいと言うものはよく思えてきてしまう。でもどれだけその人を好きでも、そりゃないよ~というものもあるから、自分なりの判断基準はあるんだと思うんだけど。いや、でも修が好きなものでそりゃないよ~と思ったものがあまり見当たらない。。。プロレスとかはそりゃないよ~。


でもこの本を読んでからちょっと思ったのは、園さんみたいに正直な人は好きだ。人からどう思われるかなんて全然気にしないで、自分の言いたいことを言えるのはものすごくかっこいい。でも、それと人を傷つけるのは違う。正直だけど、人を傷つけないのが好きなんだと思う。でも私は、正直にいたいのに人を傷つけるんじゃないかと不安になって頭のなかが真っ白になってしまう。敵をつくりたくないだけなのかもしれない。。。でもそんなことをしていると、自分もきっと相手も面白くない。自分が人を傷つけず正直に生きようと思うと、とにかく自分が好きなことを正直に主張するしかない。でもとにかく好きなことを主張しようと思っても自分が好きなことが分かってないんだもんなあ~~。


そういえば、去年SUNLIFEというイベントにいったとき、あの音楽とか造形的なものとか、人とか、雰囲気とかははっきり好きだと思った。でもそれがなんといっていいかわからなかった。好きなことが分かることと言葉にすることの間にも一段大きな段差がある。でもそれがマナらしくていいよっていってくれる人もいるから、言葉にすることだけが愛情表現でもないんだろうな~。もっと身体的で非言語であってもいいはず!いや、そうあってほしい。


きっと子どもの頃は自分が面白いとか好きだと思っていることが純粋に分かって行動にうつせるからすごいんだろうな。客観的になったり誰かと比べたりするととたんにわからなくなる。だからなるべくそうならないようにしたい。今からでも。


でも、これだけ正直なことがいいとか言っておいて、自分の身内で誰かを傷つけているわけじゃないのに正直な人がいると、許せなくなるのはなぜだろう。羨ましいから許せないのとはなんとなく別で、恥ずかしいな~とか思ったりする。

距離感によって正直であることが好きになったり、好きじゃなくなったりするのは不思議な話。それとも私が好きなのは「正直であること」じゃなくて、「自分と同じような意見を堂々と言っていること」なのかな。わからず。



もう話がよくわらなくなってきた。とりあえず、私も自分が面白いと思うことを追求して生きていきたいので、これからどうするのがいいのか。4つ選択肢を考えた。

①正直に生きれるように努力する。(どんな努力をすればいいかわからないけど。)
②別の好きなことをやる。
③なんにも考えず、ピンとくるものに出会えるのを待つ。
④他の好きなことを見つけるために旅にでる。




いや~本当はこの選択肢どれもピンとはきてない!実にひどい!ひど~い!よし、こんな感じでこれからもひどーに生きる。