ひどーに生きる

昨日はおーひらさんという本好きの先輩がたくさん本を送ってきてくれた。一番上にあったのが『非道に生きる園子温 だった。


園さんの映画は『愛のむきだし』しか見たことがない。正直見たのは4年前くらいで、内容もほとんど覚えてないけど、たしか4時間という超長編ぶりにおそるおそる見はじめた。修は当時この世界観にどっぷりはまってて、私もたっぷりと影響を受けていたから、すごくエネルギーをもらったことは覚えてる。でも、本当によかったのかな。この本を読んでからもう一回観たくてたまらなくなっている。


この本の中で園さんは「自分が面白いと思うものだけを追求すること。それが非道の生き方です。」といっている。人はそもそも全員道なき道を行く宿命なんだそうだ。たしかに、一人一人道が決まっててそこしかいけないなら人生きっとつまらなすぎていやになるだろうな~。


でも面白いってなんだ。面白い=好きなことかな。そもそも自分が本当に好きかどうかの判断が、私はかなりあやしい。まず人を好きになって、その人がいいと言うものはよく思えてきてしまう。でもどれだけその人を好きでも、そりゃないよ~というものもあるから、自分なりの判断基準はあるんだと思うんだけど。いや、でも修が好きなものでそりゃないよ~と思ったものがあまり見当たらない。。。プロレスとかはそりゃないよ~。


でもこの本を読んでからちょっと思ったのは、園さんみたいに正直な人は好きだ。人からどう思われるかなんて全然気にしないで、自分の言いたいことを言えるのはものすごくかっこいい。でも、それと人を傷つけるのは違う。正直だけど、人を傷つけないのが好きなんだと思う。でも私は、正直にいたいのに人を傷つけるんじゃないかと不安になって頭のなかが真っ白になってしまう。敵をつくりたくないだけなのかもしれない。。。でもそんなことをしていると、自分もきっと相手も面白くない。自分が人を傷つけず正直に生きようと思うと、とにかく自分が好きなことを正直に主張するしかない。でもとにかく好きなことを主張しようと思っても自分が好きなことが分かってないんだもんなあ~~。


そういえば、去年SUNLIFEというイベントにいったとき、あの音楽とか造形的なものとか、人とか、雰囲気とかははっきり好きだと思った。でもそれがなんといっていいかわからなかった。好きなことが分かることと言葉にすることの間にも一段大きな段差がある。でもそれがマナらしくていいよっていってくれる人もいるから、言葉にすることだけが愛情表現でもないんだろうな~。もっと身体的で非言語であってもいいはず!いや、そうあってほしい。


きっと子どもの頃は自分が面白いとか好きだと思っていることが純粋に分かって行動にうつせるからすごいんだろうな。客観的になったり誰かと比べたりするととたんにわからなくなる。だからなるべくそうならないようにしたい。今からでも。


でも、これだけ正直なことがいいとか言っておいて、自分の身内で誰かを傷つけているわけじゃないのに正直な人がいると、許せなくなるのはなぜだろう。羨ましいから許せないのとはなんとなく別で、恥ずかしいな~とか思ったりする。

距離感によって正直であることが好きになったり、好きじゃなくなったりするのは不思議な話。それとも私が好きなのは「正直であること」じゃなくて、「自分と同じような意見を堂々と言っていること」なのかな。わからず。



もう話がよくわらなくなってきた。とりあえず、私も自分が面白いと思うことを追求して生きていきたいので、これからどうするのがいいのか。4つ選択肢を考えた。

①正直に生きれるように努力する。(どんな努力をすればいいかわからないけど。)
②別の好きなことをやる。
③なんにも考えず、ピンとくるものに出会えるのを待つ。
④他の好きなことを見つけるために旅にでる。




いや~本当はこの選択肢どれもピンとはきてない!実にひどい!ひど~い!よし、こんな感じでこれからもひどーに生きる。